2008年09月
こどものころ「 トラップファミリー」の映画を 見た
アメリカへわたった一家は きれいなコーラスを披露して 演奏旅行を続けるが いまいち 受け入れてもらえず とても苦労する話だった きれいなボーイソプラノの声に感動した
お母さんが 開演前 幕の間から客席を見て ためいきを つくシーン 興行主に「お色気がない」と言われ お尻をふったりして それらしく見せてるシーンなど 覚えている
トラップファミリーの映画だった ということしか 記憶になく 「サウンドオブミュージック」 という トラップファミリーの映画が ヒットした という話を 聞いて ああ あの映画かと 思っていた
それが間違い と気付いたのは 「サウンドオブミュージック」 を 見た今から20年くらい前だ
じゃあ あの昔見た 映画は なん だったのだろうと わからなかった
それが 「続・菩提樹」 だったらしい
今度 DVD 化される という情報を見て ああ これだったんだと・・・
なんたる 勘違い!
7月9日に録音の行われた 横浜開港百年の歌 「歓喜の港」が 9月22日に 栄区のホームページの 開港150年のページに 登場しました
著作権関係の手続きが終わって JASRACの許可が 下りたようです
こういう 市民の歌みたいなものにも 著作権が 関係する のですね
このページを開けると 歌へのリンクが 見れます
録音当日は 「歌詞が聞こえない!もっとはっきり子音を立てて」 と 指示がありました
私には 歌詞はわかるのですが、初めて聞かれる皆様に 歌詞が 聞こえるでしょうか
なお 10月25日(土)に行われる 栄区民芸術祭 「音楽の祭典」(栄公会堂) の最後に この「歓喜の港」の演奏と お客様全員も歌う 「全員合唱」が 企画 されています
急遽 午後から芸術祭の総合プログラム(パンフレットみたいなもの)の音協所属各団体への 仕分けを とのことで 霧雨の中 本郷台駅前のぷらっと栄へ封筒、宛名、のりなど準備して かけつける
何人もの方が 手伝ってくださり あっという間に 終了
やっている間にも 取りに見える団体が いくつも ある
助かるね~
帰りは 晴れてきたので歩いて 帰ることにする
途中 いたち川でネコとさんざん遊ぶ かわいいね~ あたらしく黒い猫がふえた 「どこから来たの?」と 聞いても 答えは 「ニャーニャー」のみ
いたち川に沿って歩く 川の途中で右へ折れ 坂道を ぐんぐん 登る
遊水地の脇をぬけ しばらく行くと なんと 西の夕焼け空に 富士山のシルエットが くっきりと 見えるではないか
急いで ビューポイントへ走る 階段を駆け上る フーッ間に合った きれい!
こんな おまけつきの 約1時間の お散歩 ラッキー! 時間計算したって こんなに うまく は いかないっ しょ
ワンちゃんのお散歩の途中に ご夫婦で よく音楽関係の書類を持って 訪ねてくれた
私と奥様がしゃべっている間 ご主人は恥ずかしそうに 少し離れたところで ワンちゃんと じっと待っていてくれた
そのご主人と ワンちゃんが ここ2週間のあいだに ・・・・
ご主人は既報のとおり 14日早朝に 満月のお月さまのもとに いってしまった
1か月近くの 寝たきり介護犬状態だった 17歳のワンちゃんは 4日に 虹の橋をわったっていった
我が家にわんこがいたころ 散歩の途中 よくうちの階段を上がってきてくれた うちのわんこがいなくなっても しばらくは階段を上がっていたらしい
こんな 日常の なんでも なかった風景が もう見られない
音楽団体では書記をつとめ 7月の記録は彼が書いている 第九も1回目からの実行委員だった 私の重い荷物を 「はい いいですよ」と 快く 運んでくれるのは いつも彼だった 車にもよく乗せてもらった
彼はメサイア音楽塾では いつも一番前の席で歌っていた バスがお休みが多くて彼1人の時も 頑張って あの難しいのを 懸命に 歌っていた
男声合唱団では 初期のころからの団員で 本当に熱心に活動されていた 団長経験もあったはず
ひつぎの中には 「メサイア」の楽譜と 男声合唱団のユニフォームが 収められていた
きっと 空の上で 一緒に歌ってくれるよね Yさん
今日は例の音楽の祭典のプログラム編集の続きを頑張った
ビスタ(ワード2007)では初めての編集作業で心配だったけど、だいぶ慣れてきた
しかしけっこう大変だった
テキストボックスから字がはみ出したー と思った途端 画面が真っ白になり 強制終了
自動保存の文書はなぜか開かず、保存前の文書に逆もどり
これに懲りてしょっちゅう上書き保存をかけるしまつ 一行終わるとはい上書き
これは前のパソコンではなかったこと
結局3回くらい強制終了がかかった なんだろう?
しかも字を直すとすぐそばに便利そうなダイアログが浮かんでくる
しかし使うべきものがないので、結局邪魔だ うっかり触るとなにか余計なことが始まっちゃう
これはどうやって消すのだろう?
いままですぐ下にあった オートシェイプ テキストボックス 順序 字の色や大きさ オブジェクトの選択の矢印 などみんな上のツールボックスに別々に入っているので、いちいち探すのが本当に面倒だ
だいぶ慣れたけど ストレスがたまる 使いにくいなあ
ああ恐ろしい強制終了 久しぶりに 味わった恐怖
明日はお通夜だ
友達に、耳鳴りにはカフェイン抜きがいいらしいと聞いて、日本茶、紅茶、コーヒー、ウーロン茶、麦茶などを断って約一か月になる。
これはお茶好きの私には厳しいものだけど、お金がかかるわけでもないので、試しにやっている。
で、成果は、耳鳴りは今のところ変わらない。しかし、聞こえが変わってきているような感じだ。2~3日前に耳鼻科で聴力検査をしたら、低音部がいままで45dbくらいだったのが、20dbに上がってきていた。
こんなにいい成績は初めてだ。
薬も1日1回に減った。
もう少しカフェイン抜き続けてみよう。
それにしても、塩分ヌキ、糖分ヌキ、油ヌキ、果物ダメ、人工甘味料は舌が受け付けないし、これでカフェインも抜きとなると、食べれるもの飲めるものがどんどん少なくなる。困るね~
やっと眠気が覚めてきました
5日(金)深夜0時羽田を発って、ソウルに(土)(日)滞在
8日(月)深夜3時45分ソウルを発ち、羽田着5時45分
こんなすごい日程で、生まれて初めて韓国のソウルに行ってきました。
月曜朝帰宅後、洗濯と朝食を済ませたあとものすごい眠気でお布団へ 目がさめたら午後4時、びっくりして飛び起きました。 で、夜は夜で10時頃にはまた猛烈に眠く、早々とお布団行き、パソコンもメールを見るのが精いっぱい。なにしろ眠い月曜日を過ごしました。
やっと火曜日普通に戻りました。午後コーラス、夜音協の理事会でした。
ブログ更新してないので、また具合が悪くなったかと、皆さんにご心配をかけてはと、まだ写真もカメラに入ったままですが、ソウルの感想を・・・
陽気は晴れで本当に暑かった。いつも日本では飲んだ事のないペットボトルの水を何本も飲みました。1本70円です。
まず、韓国の方は礼儀正しいですね。目上の人をちゃんと立ててくれます。地下鉄の中で若い方に3回も席を譲っていただきました。生まれて初めての経験です。最初はびっくりしましたが、次からはご好意に甘えてひと駅でも座らせてもらいました。小さい頃からこういう教育をされているのでしょうね。
道路が広いですね。8車線あります。いざというときは飛行機の滑走路になるそうです。80キロくらいのスピードで右側通行で走っています。
車はほとんどがセダンで、高級車ばかりです。日本で流行のワンボックス車、軽自動車などはほとんど見かけませんでした。韓国産の車のようです。訪れたスーパーの駐車場は地下5階まであり、高級車がずらーっとならんでいるのは壮観です。
自転車はあまりみかけません。時々みかけても、スポーツタイプのかっこいい自転車ばかりです。ママチャリは日本のもの?
バイクは大型車がほとんどで、原付はあまり見ませんでした。
人々の装いはシブくてセンスがいいです。繁華街を休日に歩いても日本の若者のような奇抜な格好の人はいません。お年寄りの女性が意外とピンクなど派手な色を着てらっしゃいます。
東大門の近くや南大門の近くでは商店が活気で満ち溢れています。
私たちは顔が似てると思うのですが、韓国の方にはすぐわかるらしく、呼子は日本語で話しかけてきす。南大門の近くで呼子が「ニセモノヤスイヨ~!」と言っていたのには笑っちゃいました。ここでは地下鉄の通路から衣類の露店が始まります。おばちゃんの売っていた冷えたメロンとスイカを切ったものに割り箸をさしたのがおいしかった。
特に夜に行った東大門の近くでは、道路が衣類の露店街に早変わりして、二重三重に店が並び、その列の長さに圧倒されます。衣類、アクセサリー、靴、食べ物などを売る人、見に来る人、買う人、食べる人、大音響の音楽がなり、そう平塚の七夕の何倍ものにぎやかさとでもいう感じでしょうか。
人々の熱気に圧倒されました。
よくわかりませんが、毎晩こんなことが繰り返されてるのでしょうか。
食べ物もけっこうおいしく頂きました。野菜が多いのがいいです。
お金はウォンで大体1円が10ウォンですから、計算が楽です。両替したら丸がひとつ増えて得した気分です。
こんな国と昔不幸な歴史があったなんて、当時の人は何を考えていたのでしょうか。いろいろなことを日本はこの国から学んできたはずなのに、悲しいことです。
今回のちょいソウル行きで、遠くに感じていた韓国がものすごく近い国だと実感しました。実際2時間で行ける距離なんですね。
もちろん、また行ってみたい国です。