友人
懐かしい歌を
マスクをして
たくさん 歌いました
最後のほうで歌った
大好きな「芭蕉布」
懐かしい思い出の曲
合唱指揮者だった親友が
奄美に帰ってしまうときに
地元指導団体などで開催された
「ありがとうコンサート」で
出演者全員で歌った歌
「芭蕉布」
これを聞いて 大感動
以来 芭蕉布を 好きになった友人
いつも歌っていた「芭蕉布」
奄美に行ってしまった親友も
芭蕉布を好きになった友人も
おふたりとも
もう この世に いない
この歌を歌うと
あの時の
ありがとうコンサートで
歌ったときのことを
きのうのできごとのように
思い出します

ありがとうコンサート 2004/12/2 リリス
♪♪ 海の青さに 空の青
南の風に緑葉の
芭蕉は・・・♪♪
今日の空は
まるで南の島で見た空のようでした
風呂場での事故
最近もそんなことが起きて 知り合いが命を落とされました
今までにも 友人で そんなことだった こともありました
知り合いではなくとも
助けに行った奥様も ともに という 話も聞きました
前にテレビで それに関する番組で聞いたこと
「危ないと思ったら 水栓を抜く」ということ
少なくとも水死は防げます
状況にもよるけれど 命の危険があるときですから そんな余裕はないかもしれない
でも 水栓を抜こうと 思っていれば 倒れる前に必死で抜くことができるかもしれない
とも 思います
しかし そんな状況で
水栓を抜いて助かった
という話は 聞いたことがありません
でも 少なくとも 心に刻んでおこうと
思います
それから
服を着たままでいいから 水をかけて 冷やす
そう 聞いています
追記
実は 写真のともだちが
もうずいぶん前になりますが 25年くらい前かな
自宅でストーブの上にのったやかんの熱いお湯を足に浴びて 大やけど されました
ご家族は 必死で はいていた細身のGパンを脱がして・・・
彼女は 「なにしろ痛かったのよ 痛いよ痛いよ」とずっと叫んでいたそうです・・
結局 歩くことは不自由で いつも杖をついてられました
それからも 違う世界の写真を撮り続けてられました が
それから15年くらい後に
お風呂で亡くなられた のです
あっちでも
彼女のことだから
写真を撮っているかな?
ご冥福を祈るしかできません・・・
今朝は 息子が不治の病気とわかり
尋ねてきた親友と二人で抱き合って
なんで 息子は病気になったのだ 悪いこともしていないのに・・・
と怒り 泣くシーン
思わず 涙がこみあげてきてしまいました
そして 10年前の出来事を思い出してしまいました
寒いころに 急に訪ねてきたともだち
彼女は よくない病気にかかり 治療中でした
顔を合わせると 急に抱きついてきて ずうっと泣いていた
なにも おっしゃらなかったけれど
自分の生きられる時間が少なくなったことを知ったときだったに違いない
それから半年後 に 彼女は帰れない世界に行ってしまった
彼女とは 毎週アカペラコーラスに 一緒に車で行っていた
支度の のろい私がよく遅れて 待たせてしまった
そんなとき
植木鉢のビオラの花ガラを つんでくれていた
いまでも 私 花ガラをつんでいると 彼女を思い出してしまうのですよ
やさしい ステキなともだち・・・・

どうもこれでおしまいのよう
気持ちの良い 晴天となりました
約20人ほどが集まり 無事ともだちの納骨が行われました
私は 彼女が2004年12月 奄美に行ってしまうときに
こちらの音楽関係のみんなが参加した
「ありがとうコンサート」のとき
女声合唱団で歌った「いきゅんにゃかな」という
行ってしまう人を悲しむ島唄をコーラスにアレンジした曲
これを ぜひ納骨のときに流したいと思い 探し出しました
そして メディアに入れる間がなかったので 昔のラジカセ持参で出席
ご主人に お願いして 彼女のお骨納めの瞬間に流させてもらいました
そして CD終了後に サンシンと島唄で若い女性が歌った曲
なんと 同じ曲でした 歌詞も同じ
正調の島唄で とてもきれいなお声でした
勝手なお願いを聞いてくださって CDを流すことを許していただいて
ほんとうに 感謝です
また この「ありがとうコンサート」のとき 歌った私たちの歌声
15年ぶりに聞いてみると
すなおに
とてもきれいな歌声で われながら 上手だなぁと
これこそ ムツコサウンド !
こんな歌を歌っていた私たちと別れて 奄美に行ってしまった彼女
もっとずうっと一緒に歌っていたかったと
かなわぬことながら 思ってしまいました
そのときの写真 真ん中で黒いパンツ姿が彼女

大島紬を着たお姿 お美しい!

墓石には結という字
奄美には結(ゆい)の精神という
人と人とのつながりを大切にし みなで協力し合うという風土があるそうですが
きっと その「結」ですね
左上と右下に楽譜が書かれています


最初は 2階への階段も上がれなかったけれど
なんとか 上がれるようになりました
立つのも少し大丈夫
歩きはゆっくりですが 歩けます
体力が ゆっくり ゆっくり 回復しているようです
お腹はまだ 痛いけど・・・
こんな年ですから 治りも時間が かかるようです
でも28日どうしても 行きたいところがあります
1年前に亡くなった親友の納骨です
※奄美と横浜に分骨
※これは亡くなった本人の希望だそうです
後記
※と書いてしまいましたが もしかして違うのかもしれません
横浜に気持ちがずうっとあったのですねぇ
私は 奄美でのお別れには参列できなかった
せめて こちらの納骨には 参列したい のです
お経の代わりに
島唄とサンシン(奄美の三味線)で ということらしいけど
ほんとうは コーラスで やりたいよねぇ
でも それはかなわないことなので せめて 行くことで勘弁
悲しいけれど
自分の気持ちのために 行きたい
このことを 教えてくれたともだちに感謝
そして インターネットのFBでやっと連絡がついて
行けることになりました
お医者先生の許可も いただけたし
台風6号がそれてくれますように
と 祈るのみ
実は昨日 知り合いの告別式でした
知り合いというか 私はケンチャンと呼んでいましたが・・
でも友人にしては年上過ぎる・・
カトリック教会
たくさんの参列者
奥さま所属のア・カペラコーラス アベマリア アメージンググレイス など
本人所属のマンドリンアンサンブル の演奏に送られて
彼は「お先に」と行ってしまいました
最後の息子さんの挨拶 よかったというのも変ですが よかったですよ
奥さまはかれのことを
春風のような人
と言っていたそうです
そうでした ほんとうにそんな感じの方でした
淡々と静かに仕事をこなし 飾ることもなく 争いを好まず
友だちと静かにお茶を飲み
人情のなにかを知っていたんだろうな
ひょうひょうと たおやかに と私には思えました
マンドリンの後ろでパーカッションを担当されていましたね
私もよくコーヒーをごちそうになりました
中国で生まれ 父母を早くに失い 祖母に育てられた彼
でも きっといい人生だったに違いありません
自宅で家族に看取られて静かに逝かれたそうです
告別式も 心のこもった いい感じのお式でした
素晴らしい人生を送ったかたの お別れ会
ご本人とはお付き合いはなかったけど ご主人さまが 皇居にクラブで行ったとき「誕生日が同じですね」と声をかけてくださったことがあった
なんだか 親近感を持ったけど しばらくして 奥さまの介護のためと 役を降りられ どうされたかなぁと時々気にしていた
先日 突然奥さまの訃報 びっくりした
どんな方か知らずにお伺いした
素晴らしい人生を送った方なんだと知った
もっと早くお知り合いになっていたかったと 思った
そして 彼女のために尽くされたご主人
お別れの会は 花で自由にお別れするというもの
彼女がすべて生前にプランニングしたもの
流れる曲は カレーラスと ブライトマンのタイムトウセイグッバイ
これも彼女の大好きな歌
なんだか いらした方が こういうのもいいかもって
まっ白い霊柩車が出ていく時 小さい声で タイムトウセイグッバイ歌って送りました
合掌
不謹慎ですが こういうところは突難には厳しい トイレに逃げたり 階段に逃げたり
人の声って 本当に・・・・
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2年前に旅立ってしまった友だちの3回忌
お孫さんが供えたお花 彼女の好きな色です
親戚と友人と たくさんの出席でした
彼女は実は山女で日本百名山やアルプス カナダ ニュージーランドなど世界中の山をご主人と登ってらした映像や コーラスで歌っている映像など スライドで見せていただきました
各人が思い出のエピソードなどを語り 心のこもった偲ぶ会になりました
告別式以来 初めてご兄弟 息子さん お嫁さん お孫さん にお会いしました
その交友の広さ 行動力に ただただ びっくりです
彼女はいろいろな方々とのつながりをつくってくれた方でした
「ねぇ一緒に行かない?」彼女の声があちこちの輪を広げ つなげていましたね
私の心の中では いつも一緒にコーラスに参加されています
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お彼岸前日の今日 墓参りに 暑い日でした
我が家の横浜霊園 実家だった横須賀 そして友だちの六浦へ
横須賀ではちょうど2時ごろで西斜面のため 西日がきつく 日に当たっているところは やけどしそうです まったくもって 今日の秋の日差しはすごい
暑さ寒さも彼岸までということですから 明日あたりから涼しくなるのでしょうか
台風も16号はどこかへ行ってしまい ゆっくり台風の15号が今日奄美近くにいて 全国に大雨を降らしているようです
友だちの眠っているお墓です
彼女の好きだった歌・・・海の青さに・・・♪芭蕉布を歌いながらお花をあげました
そういえば 2日前に華屋○○で この字を書いたN山さんに偶然会ったのでした
ここから 海が見えます シーパラの三角屋根 ジェットコースターも
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6月19日が命日に当たります 今日友人のお墓参りに六浦に行ってきました
お墓に写真も供えました
全日本おかあさんコーラス全国大会(横須賀芸術劇場)で優秀賞をいただいて打ち上げに行った時の写真です
この時はヴォンネが相当輝いていましたね 彼女もいいお顔で写っています
彼女が好きだった「芭蕉布」そして今歌っている「ピエイエズ」をお墓の前で歌いました
しばし思い出話に花が咲きました
ずいぶん長いことお墓の前でおしゃべりをしてしまいました
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毎週金曜日我が家の前に1台の車がとまり 乗りこんで「元気にしてた?」とあいさつを交わしアカペラコーラスに行っていた友だちのお通夜告別式と続きます
あなたのお声がどんなにたくさんの方々とのつながりをつくってくれたか はかり知れません 気さくでやさしくて人のことをいつも考えてくれてました
中国にも一緒に行きましたね 同じお部屋で珍道中 楽しかったね いっぱいお土産買いこんで・・・
おかあさんコーラスで全国大会にも 何度も行きましたね
道中 いつも一緒でした
うちらの団で歌った「芭蕉布」とても気に入ってくれて あなたの団でも歌っていましたね
カラオケでも一緒に「芭蕉布」歌いましたね 今日もながれていましたね
もう我が家の前には あなたの車が来ることはなくなってしまいました
とても残念で悔しい でもどうしても信じられません いまだに
一緒に歌いたい・・・・・
1月に急にいらして 玄関先でなにもおっしゃらずに抱きついて 泣いて泣いて・・・・ 私はなんのことか分からずに・・・・ ごめんね きっとあのとき・・・・ 病気がうまくいっていないことはうすうす感じていましたが まさかこんなに早く こんなことになるなんて
これしか言えません 「ありがとう」「ほんとうにありがとう」
ごめんなさい どうしても「やすらかに」って言えない
ご本人の写したという素晴らしい写真が今日いっぱいありました 外国生活も長くまたいろんな山々を登ってらして 素晴らしい ほんとうに素晴らしい風景写真がいっぱい!
いままで 1枚も見せてもらえなかったのが すごく残念で 相当ショックは大きいなぁ
6月21日夏至の日の夕景(私の写真です)ホタル見に行く前に
なおさんが亡くなってから 連日夕日がきれいです
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今朝早朝に ともだちが 亡くなった
こんなに近しいともだちが亡くなったのは 初めてのこと 信じられない
毎週金曜日 二人で一緒に コーラスに 行っていた
まだ私より若いのに 治ると信じていたのに こんなことってあるんだ
病床でも 「奇跡は起こらないかな~」 といつも何度も言っていた
覚悟はできていたけれど・・・ 悔しい 悲しい
先週7日(月)に行った時はわりと元気で 背中をさすってあげたら 気持ちがいいと言ってくれた・・・
その後 13日(日) 16日(水) と行ってみたが 会わせてもらえなかった・・・
考えてみるに 金曜コーラスには最初Mっちゃんと2人で行き 途中から彼女が加わって3人で通っていた 何年か前にMっちゃんが奄美に行っちゃって彼女と2人になって ついに私1人になってしまった・・・
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